幼稚園の頃から、わたしは毎日ピアノを弾いている。
わたしの母は、音大出身で、小さな頃からピアニストになりたかったらしい。
地方の田舎町で「神童」だった少女は、成長して都会に出て自分を試した。
するとどうだろう。
自分レベルの「ピアニスト」は文字通りごまんといた。
井の中の蛙、大海を知る。
可哀そうに母は、今や地方都市のベッドタウンのピアノ教室の先生だ。
こじんまりした家の一室を防音室に改造して、地域の子どもたちに隔日でレッスンしてる。
そんな母が、叶わなかった夢を託したのが、このわたしだ。
母には、ふたり女の子どもがいる。
ひとりは、次女であるわたし。
そして長女の姉も、幼い頃にはピアノを習っていた。
「お母さんではダメなのよ」と、地元の有名音大を出た有名な「ピアニスト」の元へ、姉妹ふたりで通わされた。
姉は、高校にあがる頃だったろうか。
ピアノ漬けの生活に音を上げた。
「お母さん、わたしは体育の先生になりたい。
だから、体育大学を目指すわ」。
強い目をして、姉はそう言い切った。
羨ましかった。
気の強い姉を説き伏せるのは母にも誰にも無理だった。
そこで、わたしだ。
いけない、集中しないと。
今、わたしはコンクールの楽屋にいる。
緊張した面持ちが、自分の順番を待っている。
ゴクリとツバを呑み込む誰かの音が聞こえた。
隣を見ると、端正でデリケートな面持ちの少年が座っていた。
「ごめん、緊張しちゃって」
よく見ると、同じ年くらいだろうか。
「だよね」
ふふ、とふたりで微笑み合った。
これが、わたしと彼の出合いだ。
満足感
昔、ピアノを習っていました。
小学校1年生から高校2年生まで。
こう書くとずいぶん長いですね。
10年以上も習っていたんだなぁと我ながら感心します。
というか、10年も習っていた割に、
技術的には、小学生レベルです。
小学校の頃は負けず嫌いな性格もあって、
割合練習していたと思います。
友達と同じ教本を使っているときは、
相手の子に追いつきたい一心で、よく練習しました。
通常は一週間でだいたい弾けるようにし、
先生のチェックを受けて、次の週で基本は完成。
もう一週で豊かな演奏ができるように仕上げる。
という流れです。
これが、やる気があるときは一週間で完璧になるように弾き込んできました。
練習もたくさんしました。
先をいっていた友達に追いつき、追い越し…。
追い越すことを目標にしていると、
達成したときに「もういいか~」と言う気分になってしまうのです。
実際その次の教本はなかなか進まなかったように思います。
音楽は競争のためのものではないのですよね。
自分がどれだけいい音を奏でたいか、結局自分との戦いです。
戦い、というのもおかしい気もします。
音楽に限らず、なんでも向き合う相手は自分なのかもしれません。
オリンピック競技の選手の表情を見ていても感じました。
思っていたメダルと違う色でも、メダルがとれなくても、
全力を出し切った選手は満足そうな顔をしていました。
自分の仕事がきっちりできたかどうか、
技術的にも、精神的にも、自分の思っている流れで進められるかどうか。
そのために日々努力が必要なんですね。